脱毛症を「受け入れる」こと

脱毛症を「受け入れる」こと

脱毛症専門の先生からお聞きした「受け入れること」も大事だということ

皮膚科医で脱毛症を専門にされている先生にお話をお聞きしたときに、
とても印象的だったこと。

「治療も大事だが、いかに受け入れていくのか、ということも同時に大事である」

完治が難しい疾患で、多くの患者さんをご覧になっている先生のご意見。
確かにそうだと思う一方、やはりすぐには難しいとも感じています。

私もそうだったのでわかるのですが、
今まさに脱毛症で悩まれている方にとっては
ちょっと悲しい辛いことなのかもしれません。

私もあのときの
「この姿でどう生きていけばいいんだろうか」
「これが自分なんだろうか」
っていう、今までには味わったことのない感覚を覚えています。

「受け入れる」と「諦める」の違い

でも私はいつもいつも思うんですが、
この私で生きていくんだと思えたときに、見えるものもあるんじゃないのかなって。
自分を症状を含めて愛していくときに、症状は私たちが持つ多くの要素のうちの一つにしかすぎなくなるんじゃないかなって思っています。

それは諦めるってこととはちょっと違うように感じます。

だれしも持っている、自分のちょっと好きになれない一要素、にレベル感が下がるってかんじですかね。
誰でもちょっとイケてないこところって持ってますし、
私だったら、髪もそうですけど、足が太いとか、目が小さいとか、記憶力悪いとか(泣)
たくさんある残念な自分の一要素なんですよね。
そうするともうこれは髪に限らないんだろうなって思っています。

そしてAlopecia Style Project Japanの活動をしていて、感じるのは、
実は周りの方は、髪のあるなしで拒絶したりすることって少ないってことです。

私もそう実感しているし、メンバーのみんなも、発症当初に想像した悲しい将来って
実際にはあまり起きなかったそうです。

もちろん中には下に見るような人もいるだろうし、
嫌な対応をする方もいるんだとは思います。
でもそういう方って、よくよく考えてみれば、
自分にとっては大事な人じゃなかったり、
関係性の薄い人だったりして、
みんなうまく受け流していたりするんですよね。

綺麗になりたい気持ちが綺麗

そしてなにより私の周りの症状をもっていらっしゃる方、
みんなとってもおしゃれで可愛い素敵な方ばかりなんです。

自分で自分のことを受け入れて、その自分をどうしていこうかって前向きに考える時って
とっても綺麗だなーって感じています。

みんなでよく話すのですが、
綺麗になりたいと思う気持ちが綺麗 
なんだろうなって。

症状を持っているとつい、「こんな自分なんて」って思っちゃうけれど、
そう思っちゃう自分でも
可愛い、綺麗、そして誰かからの愛を求める気持ち。大事にしたい。

きっとそれが「受け入れる」ということなのだろうと、私は思うのです。