等順大僧正の「お血脈」と、私のヘッドスカーフ

等順大僧正の「お血脈」と、私のヘッドスカーフ

御縁をいただき、善光寺長臈の村上光田大僧正にお会いしました。

私が病で髪を失った女性を笑顔にしたいと、群馬のシルクのスカーフを開発したことを伝えると、なんと84歳の村上大僧正が、私が持参したスカーフを手に取り、かぶっていただきました。
そして私のスカーフをかぶりながら、群馬と善光寺の深い縁をご説明していただきました。

700万人が参拝する善光寺御開帳、落語の名人が演じる「お血脈」は、江戸時代の等順大僧正が天明三年の浅間山大噴火の時に、群馬県嬬恋村鎌原の被災者を救済したことが原点です。
東叡山寛永寺から善光寺へ赴任したばかりの等順さまは自ら被災地に入り、炊き出しのための物資調達に奔走し、一か月念仏を唱えます。
地獄のような光景で泣き叫ぶ被災者を見て、東叡山の学僧だった等順さまは人生観が変わったのでしょう。目の前の人々を助けるため、この御守を授けました。
この御守りは「お血脈」という天国へのパスポートで、落語にもなり、等順さん一代でお血脈は180万枚授与されました。
等順さまは善光寺に戻り追善大法要を実施、1,490名の被災者の名が書かれた御経塔婆木を送り毎日念仏を唱えます。
浅間山大噴火三回忌の年に本堂で始めた回向が、本堂における善光寺御開帳の始まりなんです。
 等順さまは天明の大飢饉の時に善光寺の蔵米を全て放出して人々を飢餓から救い、全国を廻り、最後は光格天皇の側で皇室に尽くします。
善光寺は国家安康のお寺から民衆救済の寺に飛躍しました。
でも、その等順さまが起こした信仰の大イノベーションは、悲しみ困っている群馬の被災者を救いたいという一念で奔走した結果なのです。

 落語は「お血脈」がヒットして善光寺に参拝客が押し寄せ、地獄がヒマになったので、石川五右衛門がお血脈を盗んで来ようと善光寺にいって、お血脈を見つけて触ったら石川五右衛門も天国に行ったという話です。
悲しみを救ったお血脈が、人々を笑顔にする落語の題材になったわけです。

角田さんのスカーフも「等順さまのお血脈」と同じで、悲しみを笑顔にするものですね。頑張ってください。

比叡山延暦寺で厳しい修業をした村上大僧正は、交通事故による輸血でC型肝炎に感染し闘病を長く続けたそうです。
将軍や光格天皇にも説法をした名僧・等順大僧正と私が同じと言われ、身に余る光栄でしたが、等順大僧正の志と行動を見習って、悲しんでいる人を笑顔にしたいと強く思いました。 副住職の栢木寛照大僧正にも素晴らしいお話をお聴きしましたが、それは次の機会に。